甘酒というと、どんなイメージがあるでしょうか。甘い?神社?お正月?
もしかしたら、みなさんがこれまで飲んできた甘酒は、酒粕からできたものかもしれません。
東京港醸造の「東京あまざけ」は、お米と米麹から造られます。
その味は、ヨーグルトを思わせる、スッキリとした自然な甘さ。
ビタミンB、必須アミノ酸、ぶどう糖がたっぷり含まれた甘酒は「飲む美容液」とも呼ばれているんです。
港区に建ち並ぶビルを通り抜けて一本の路地に入ると、さっきまでの喧騒がウソのような、落ち着いた通りが広がります。すぐに、杉玉のかかる建物を発見。ここが東京港醸造です。
ちょこんとした可愛らしいショップは、伝統とモダンが融合したオシャレな佇まい。道を挟んだところに酒蔵はありました。4階建てのその建物は、本当にここでお酒を造っているの?と思うほどコンパクト。しかし、その“小ささ”こそが東京港醸造の売りでした。
シンプルでモダンな店構えですが、実は東京港醸造は、古くからの歴史を持つ老舗の酒蔵です。創業は江戸後期の1812年で、当時の屋号は「若松屋」。西郷隆盛や勝海舟も頻繁に訪れる名店だったといいます。その後、時代の変化や酒税法の改正などの影響を受け、創業100年を目前にした1911年にやむなく廃業。さらにそこから100年たった2011年、7代目にあたる齊藤俊一さんらの手によって、新たに「東京港醸造」として再スタートを切ることになったのです。
100年ぶりに酒蔵をよみがえらせた齊藤俊一社長の横には、いつも技術の面から支え続けてきた職人がいました。
それが、杜氏(酒造りの責任者)の寺澤善実さん。当時のエピソードや、造酒にかける想いについてお聞きしました。
「商店街の役員を務めていた社長の齊藤は、この街に活気を取り戻したかったんです」と寺澤さん。酒蔵復活の経緯をこのように語ってくれました。全国の商店街が次々とシャッター通りになっていく中で、例外的に人が集まっていたのは名産物を扱う土産屋と酒蔵でした。ふと、先祖が酒蔵だったことを思い出した齊藤社長は、東京のど真ん中で地酒を造れば、商店街も元気になるのではないかと思いつきます。
しかし、そこには一つ問題がありました。土地の広さです。敷地はわずか22坪。限られた土地をなんとか上手く活用できないかと齊藤社長が探っていたところに、白羽の矢が立ったのが寺澤さんでした。寺澤さんは、大手酒造会社で長年経験を積んだ後、小規模な設備での日本酒醸造に取り組んでいたのです。それらの経験から、寺澤さんは「場所を見ただけで構想が浮かんだ」と当時を振り返ります。
「でも、最初は断ったんですよ」と笑う寺澤さん。なんでも、一度に造れる量が少ない小規模醸造は、採算をとりづらいのだそう。それでも齊藤社長は何度も口説きにやってきます。時を同じくして、寺澤さんが前職で取り組んでいた小規模醸造の日本酒が新酒鑑評会で金賞を受賞。「それを機に、小規模な醸造所でもいい酒は造れるんだって証明することが私のミッションになりました。“小さく造る”と、すぐ消費者の口に届けられるというメリットもあるんです」
こうして二人三脚の東京・地酒造りは始まりました。
酒造りにあたって、齊藤社長と寺澤さんがこだわったのは「メイド・イン・オールトーキョー」。お米も麹も水も東京産。水に至っては、酒造において成分がピッタリ合うという東京都の水道水が使われています。そして、日本酒造りとともに寺澤さんが取り組んでいたのが、甘酒。「東京あまざけ」は、寺澤さんのお母さまがかつて家で造っていたレシピなのだそう。「全部手作りだから、うちのが日本で一番高い甘酒だと思いますよ」と笑う寺澤さんの顔は、ちょっと誇らしげに見えました。
玄米から白米に。このとき、お米の貯蓄は低温で行うのがポイント。
もろみタンクで、蒸米と麹と水を20時間かけて混ぜ合わせます。麹によって、味が甘く変化していきます。
65℃の熱湯に製品を漬け殺菌をした後は、瓶詰めと検品が行われます。
洗米・水切りを時間を計測しながら厳密に行い、こしきで蒸します。蒸米を冷却すると麹が出来上がります。
発酵後の糖度や甘味を専門のマシンで確かめながら、味を微調整。
手作りにこだわり、一つ一つ大切に造られた甘酒は、2週間で70本しか造られません。いくら売れても、大量生産はしたくないという東京港醸造のお二人。儲けを追求するのではなく、歴史や地域のつながりといった無形資産を育んでいきたいのだと語ってくれました。そんな想いが、よりいっそう甘酒を味わい深くしているんですね。
「お金儲けではなくて、文化を育てたいんだ」
お二人のまっすぐな想いに触れて、私の大切な人たちに東京港醸造を薦めたくなりました。