夕張メロンは、夕張の地で誕生して2016年で実に56年が経つ、フルーツの老舗ブランドです。
あの美しくて美味しいイメージの裏側には、想像していた以上のたくさんの努力と、愛情が注がれていることがわかりました。
確かなブランドとして信頼されるべく、挑戦を続ける夕張メロンをよく知る旅へ出かけましょう!
ものづくりをしている人の横顔を見るのが大好き。そして、ローカルな旅とおいしいものも大好きなので、初めて行く夕張への旅ではどんな人に出会えるのか、とっても楽しみにしています。
新緑の美しい初夏、夕張を訪ねると、そこには
ずらりと広がる夕張メロンのビニールハウスが。
お父さんの代から夕張メロンを作る小林貴洋さんは
「ビニールハウスを18区画に区切り、出荷のタイミングを
ずらして作ります。毎年9万個ぐらい作ってるかな」
つまり、冬の時期の苗作りから綿密に
夕張メロンづくりは始まっているんですね。
青々とした葉っぱの波間には、まるまるとした
夕張メロンが収穫されるのを待ち構えています。
メロンのお尻をコンコンと叩いてみたり、持ってみて
収穫時期がわかるのだとか。「こればっかりは、
経験ですね〜」と小林さん。長年の経験から来る
感覚で、迷いなくメロンを選びます。
今年の初競りにも、出荷させるんだそうです。
夕張メロンの出荷のピークは、6月から7月にかけて。
この間が一番多く出まわり、比較的お手頃になるそうです。
小林さんの畑は、お母さんと小林さん夫妻、小林さんの弟さん夫妻を中心に、パートさんにお手伝いをお願いしながら、約10人ほどで運営しています。もちろん、すべてのビニールハウスを、すべて手作業で!
優雅なイメージの夕張メロン。しかし、種まきや苗作りから始まって
すべての工程に特段の手間ひまをかけて作っていることが、畑を見るとよくわかりました。
インタビュー中、ざあっと雨が降ってきました。
急いでビニールハウス一面に開いていた窓を閉め、ハウスの気温が下がり過ぎないように
1つ1つ調整しなければなりません。そうでないと、メロンの皮が固くなり、きれいな網目模様が出ないのだそう。
私が「まるで人間の赤ちゃんみたいに気を配っているんですね」と言うと、
「本当にそれぐらい、手間がかかるものなんです」とお話していたのが印象的でした。
とても細かな手間ひまをかけて品質を守り、作り続ける夕張メロン。
2代目農家の小林さんも、子どもの頃両親が夕張メロンを作っているのを見て「農家の仕事って、大変そうだな」と思っていたのだそう。それでも作り続ける理由を尋ねると「そうしてたくさんの工程を経るからこそ、すべてを自分の判断で良くすることができるんです。
毎年夕張メロン作りをしていて、これでいいだろうと満足することはありません。
でも、作り続けてもっと良くしていこうと思うことが、やりがいになるんですよ」と、笑顔で語ってくれました。なんだか、聞けば聞くほどじっくり味わって食べたくなるお話です。 最後は小林さんご一家で記念撮影。みんなの努力が実った夕張メロン、そろそろ出荷です。
同じ土地で同じ作物を続けて作ると、その作物に強い病原菌・病害虫が年々増えてしまいます。
病気や虫に強い種類の苗を台木として使い、そこに夕張メロンの茎をくっつけて病気に強い苗を作ります。
ミツバチが活発に活動する20〜25℃に気温を保たないと、上手に受粉作業をしてくれません。毎日、暑さ寒さを管理して、ハチが働きやすいようにするのも人間の役目なんですね。
生産者さんの経験と感覚で、届く頃に食べごろを迎えられるようなメロンを選んで収穫。
綺麗なツルを残すことが、夕張メロンでは大切な工程!贈答品として、ルックスも大事なんですね。
無事、接木を終えた夕張メロンの苗は、畑へと定植されます。温水が流れるあたたかい地面に植えられて1つ1つ、手作業で水を少しずつやり、根が畑に伸びるようにします。
夕張メロンの苗に前もって10個程度の実を付けさせてから、特に形の良いものを2,3個選抜します。お尻に白いマットを敷いて、丸々と育てます。丸くなったらいよいよ、甘みが増してきます。
独自に設けた特秀、秀、優、良の4つの等級を決めるため、農家さんから選果場に運び込まれたメロンは1個1個手に取って、厳しい品質検査を受けます。
夕張メロンの一等賞、共撰マークの厳格なルール!
基準で選ばれる「共撰マーク」は、夕張メロンの信頼の証です。
共撰にかける基準は玉の形が優れていて、糖度10%以上。ネットは40%以上万遍なく張った1kg以上の大きな玉…というのが基準。
自分で食べるには申し分なくても、見栄えが悪いと共撰からは弾かれてしまうというからなんとも厳格!贈答品としての用途が多かった夕張メロンならではのとってもシビアな基準。だけどそれを生産者みんなで守るからこそ、夕張メロンが信頼されているんですね。
夕張メロン作りは、冬の間からスタートします。
夕張メロンは、収穫時は青白いのですが、時間とともに色が変化します。
お家に買って帰ってきてから、常温で追熟させるのが夕張メロンの食べ方。
ヘタがしおれて全体が緑黄色・黄色へと変わり、香りが強くなってきたら食べごろです。
なんだかバナナのような食べごろの迎え方!?暖かい地方原産のフルーツと言う意味では、共通するところがあるのかもしれません。
夕張市は明治21年に夕張炭田が発見され、炭鉱の町として栄えます。
たくさんの炭鉱労働者が全国から集まり、最盛期には人口が10万を超えるほどの賑わいをみせました。
しかし、石炭エネルギーが石油や他のエネルギー源に取って代わられる中、農業は夕張特有の火山灰質風土で、
出来る作物は大変に限られていました。
「このままでは夕張の農業が衰退してしまう!」
危機感をもった農家や農協の皆さんをはじめ、町を挙げて、特産物を探す日々だったそうです。
昭和32年、水はけの良い夕張の風土に適した「スパイシー」という品種のメロンに出会い、夕張メロンへの品種改良が始まります。
甘くないスパイシー種に日本中、さまざまな産地にお願いして譲り受けた品種を掛けあわせ、ようやく出来たのが「夕張キング」種。
これが、夕張メロンとなるのです。
初めはようやく栽培を始めても、寒さで苗が枯れてしまったり、発芽もできない状態だったそうです。
農家の方は時に腹巻きに種を入れて温め、ビニールで何重にも苗を覆いながら、必死で夕張メロンを根付かせるために育てたのだとか。
やっとの思いでできた夕張メロンの価値を上げるため、今度は、さきほどご紹介した大変厳しい「共撰」という基準を制定しました。せっかく作ったのに、という声も聞かれましたが、これが功を奏し、ブランドフルーツとして夕張メロンはどんどん、その価値を上げていきました。
2015年末には、農林水産省の地理的表示保護制度(GI)という、その品質やブランド力に国からの”お墨付き”をもらった特別なフルーツ第1期生として認められました。
今にも続くブランドを守るための努力は、夕張メロンを作った初代の人たちが培った信頼を大切にしてきたことの証なんですね。
夕張市じゅうの農家から集まった初採れの夕張メロンが並ぶ、JA 夕張市の共撰場へ赴きました。
細心のチェックを施されたメロンは、特別な箱に入れられてトラックへ運び込まれていきました。いよいよ明日、市場で競りにかけられます。共撰の基準を教えてくださった、JA 木下部長に初出荷について思うことを伺うと「今年も、シーズンが始まるんだなという気持ちですね」と感慨深そうにお話されていたのが印象的です。
今年は雪も少なく暖かで、品質はばっちり。ゆえに、初競りも最高額を更新するのでは!?と予測した木下さん。
初競りの価格は、いわゆる“ご祝儀相場”。でも、こんなに値段が付く初ものフルーツも、他にはないですよね。その秘密は一体どこにあるのでしょうか?
そして初代の農家さんから苦労して育てあげた夕張ブランドを、市場の人はどう評価するのでしょうか?その答えは、次回お届けします!